【体験談】うつ病からの脱却のカギは「諦め」。新しい人生を歩み出そう

【体験談】うつ病からの脱却のカギは「諦め」。新しい人生を歩み出そう

今の時代を生きる僕たちは、「諦め」という言葉をネガティブなものだと教えられてきました。

確かに諦めは、ある一面だけ見れば決して良いものとは言えません。自分の夢や目標に向かって諦めずに邁進することは、ある種の美しさとも言えるものがあり、大きなことを成し遂げるために「諦めない」ことは絶対に必要だからです。

しかし一方で、「諦めるのは悪いことだ」という価値観を鵜呑みにし、1つの物事に執着するあまり一歩も前に進めない状態は、果たして正しいと言えるでしょうか?人生に対する全てに食らいつき、努力し、心が悲鳴をあげていてもなお「諦めない」ことは、それでも美しいのでしょうか?

この記事では、うつ病歴10年弱の筆者の体験談をもとに、

うつ病からの脱却と諦め

というテーマを扱っています。うつ病の治療が上手くいかない方、あるいは人生に疲れたという方、色々な人にとって有意義な記事となるように誠心誠意執筆してみたので、無理のない範囲で読んでいただければと思います。

僕のうつ病からの脱却は「諦め」から始まった

冒頭でもお伝えしたように、僕はうつ病を患っている患者です。一番辛かった時には、文字通り「生きることしかできなかった」と言えるくらい非常に辛い思いをしました。ですが、そんなどん底の状態から、今では毎日少しずつ仕事をし、このような記事を書けるくらいにはなれたのですから、人生って何が起きるかわからないですよね。

さて、僕がどん底の状態からここまでどうにか回復することができた要因として、冒頭でも伝えたように「諦め」が大きかったと思います。

うつ病の苦しみの全ては「執着」である

ではどうして「諦め」がうつ病からの脱却の大きな要因になったのかですが、これを語る上で外せないのが「執着」です。皆さんも知っての通り、執着とは特定の物事を「諦めない」ことを意味する言葉であり、この記事では諦めの対義語的な使い方をしていきます。

筆者は今まで様々なことに対して執着してきましたが、その最たるものが

普通の人生を生きる

ということへの執着でした。筆者は昔から負けず嫌いで、何かにつけて他人と競争したがる性質を持っています。それゆえ、今までの人生では常に

亜鈴

〜よりも上にいかないといけない

といったように、誰か・何かと競うように人生を歩んできたように感じます。そんな筆者にとって、「普通の人生を生きれない」ことは何にも勝る屈辱で、とにかく最低でも普通の枠に収まってなければいけない。普通からはみ出てはいけない。という考えで頭がいっぱいだったんです。

しかし、結果的に筆者は「普通」にはなれませんでした。「大学院まで進学して良い企業に就職する」という絵に描いたような「普通の人生」に拘泥してきた学生時代に、うつ病の重症化により大学院を休学・退学せざるを得なかったからです。

現実を受け入れられない苦しさ

うつ病の重症化により休学した際は、非常に苦しかったことを今でも記憶しています。頭の中に「死にたい」という記号が勝手に出てくる希死念慮に初めて悩まされ、「普通の人生」なんかにこだわっている場合じゃなかったから。

そして、逃げるように大学を後にし実家に帰り、そこから筆者の療養生活が始まります。でも、当時頭に常にあったのは、

  • 大学に戻って「普通の人生」をまた始めないと
  • このまま俺はどうなっちゃうんだろう
  • 一生仕事も何もできず終わっていくんだ

こんなことばかりで、「普通の人生」という目標と、現実のどうしようもなくだらしない自分とのギャップにずっと苦しみました。

亜鈴

なんで。どうして。こんなはずじゃないのに。俺はもっと凄い人間なのに。

今思えば傲慢とも受け取れるこんなことを考え続け、療養生活にも関わらず心をすり減らす日々が半年近く続いたのです。理想から外れている自分をとにかく罵り、罵倒し、無価値だと責め続ける毎日は、ある意味で現実から逃げるためにも必要なことだったのかもしれません。

現実の自分を罵倒することで忘れ去り、理想の自分を頭の中で美化する。この作業により、どうにか「理想の自分」に執着した状態をキープしていた気がしています。

諦めることで人生は再び動き出す

ですが、こんな毎日を送っていては、ハッキリ言って心がもちません。来る日も来る日も自分を責め続けた筆者は、ふとこんなことを思うようになりました。

亜鈴

どんだけ理想の自分を追いかけ続けても、結局は「布団の中で何もできずにうずくまってる自分」が今の俺なんだよな

うつ病を患っている方ならわかるかもしれませんが、筆者はとにかく布団から出たくなかったです。布団の中で理想の自分を希求し、現実の自分を罵倒する。これをひたすら続けていましたが、これも現実から目をそらすために行なっていたのかもしれないですね。

しかし、上記のようなことを心の中で感じるようになってから、徐々に布団から出るようになりました。大学の同級生が就活をして将来への新たな一歩を歩みだしている時に、家でのんびりしているしかない自分。親や周りの人間は仕事をしているのに、家でゲームをしているしかない自分。

布団から出たことで、徐々にこういった「現実」に直面するようになり、最初は本当にキツかったです。でも、

亜鈴

これが今の自分だから

と心の中で呟き、なんとかそのままの自分で生きることだけを意識するようにしました。頭の中にある理想の自分で生きるのではなく、「今の自分」で生きる。

寝て、起きて、食べて、また寝る。これしかできないどうしようもない自分でも、「これが自分だから」というスタンスで生きなければ、新しい人生が始まらないと思ったのです。

「諦め」は悪いことなんかじゃない

もちろん最初はそう簡単に割り切れなかったです。

亜鈴

なんで俺がこんな風にならなきゃいけないんだ。俺は「もっと良い人生」を生きるはずだったのに。

こんな風な感情で心が支配され、どうしようもなく辛くなったことは数え切れないほどありました。うつ病にさえかからなければ、こんなことにはならなかった。ホントその通りです。

でも一方で、「うつ病になった自分」が今のたった1人の自分なのもまた事実なのです。こう思えるようになった時、僕は「自分の人生を諦めたのだな」と思いました。

今までは「就職して結婚して・・」という目標?というか、固定観念があったけれど、それを全て諦め、とりあえず今を生きよう。食って寝るだけの人間で、お金だって一銭も稼げないダメ人間だけど、とりあえず今を生きてみよう。

とても「前向き」とは言えないけど、諦めたことで、多少は「生きることに能動的」になれた気がしましたね。大学にいた当時は、論文読んだり、セミナーの準備したり、後輩の面倒見たり、就活の勉強したり・・と、一見すると療養生活より明らかに活発に生きているような気がしますが、今振り返れば当時は何も考えずロボットとして生存していただけってイメージが強い。

一方で、全てを諦めて「何もできないダメな自分で生きる」ことを決めてからの方が、「生きてる」って感覚があったのが不思議でした。

筆者はこの経験から、「諦める」ということは決して悪いことなんかじゃなく、むしろ人生を主体的に・能動的に生きるために大切なことだって思えた気がします。うつ病にかかる人間は総じて真面目な性格を持っていますから、どうしても人生の様々なことに対して執着し、諦め切れない部分がありますが、一度諦めがつくと

亜鈴

なんであんなにもこだわっていたんだろう

と思えて、改めて「生きる」ということに対してフレッシュな視点で向き合える。だから、うつ病になった自分を受け入れられず、前の元気だった自分に執着してしまったり、うつ病になって休学・休職といった形で人生が止まってしまい、「こんなはずじゃなかった」と以前の人生に対して執着してしまったり・・といった様々な執着から、一歩抜け出して「今までこだわってきたことを諦めてみて欲しい」というのが筆者の願いです。

等身大の自分で生きていこう!

そして、執着から徐々に抜け出すと、徐々に「本当の自分」が見えてきます。筆者は「本当の自分」を目にした時、どうしようもなくダメな自分、という感想を率直に抱きました。

亜鈴

何もしたくない。ずっと寝てたい。仕事だってしたくないし、大学院にだって戻りたくない。辛いことは何もせず、楽なことだけして生きていきたい。

頭に浮かんできたことはこんなものばかりで、当時は「なんだこの絵に描いたようなダメ人間は・・」と自分で呆れてしまったほどです。でも今は違う。今でも筆者は、上記のように「楽して生きたい」と思っていますが、

亜鈴

それが当たり前だよね。だって人間だもの。

って考えを持てるようになりました。これを進化ととるか、退化ととるかは人それぞれかもしれませんが、もう「進化」とか「退化」とか「前」とか「後」とかにこだわらなくなったんですよね。

成長なんてしなくていい。今の自分でいいじゃない。と常に考える。目標なんてなくても人間は生きていけるんだから。かっこ良く言えば「等身大の自分で生きていく」ってイメージでしょうか?これを大事にしています。こう思えると、人生すごく楽になります。

人生は執着だらけですが、そんな執着を捨てることで、苦しみから解放される。そして、等身大の自分で新たな人生を生きる。これができれば、既にうつ病からの脱却はスタートしていると言っても過言ではありません。その過程、要するに「諦める過程」がとても辛くて、困難を伴うものなのですが、筆者はうつ病からの脱却にはこの道しかないと思っています。

そこで次の章では、「執着」を諦めて新たな人生を歩むために重要なことにフォーカスして、話を進めていきますね!

なお、この記事のテーマである「諦め」が重要であることを理解できたキッカケの本がこちらになるので、もしよかったら皆さんも読んでみてください!ちょっと難しい本ですが、この記事では伝えきれなかった「諦め」の大切さが、身に染みて理解できると思います!

「執着」から抜け出して新たな人生を始めるために重要なこと

生き方に悩む男性

僕たちうつ病を患っている人間は、頭の中の至る所に執着と呼べるものが存在していると思います。

  • 早く病気を治して仕事をしなきゃ
  • この先どうなっちゃうんだろう。色々考えとかないとダメだ
  • この病気本当に治るのかな・・、治さないと人生終わりだよ・・

代表的なものをあげれば、上記のような感じかなーと。これらは確かに真っ当な不安や悩みかもしれませんが、別の見方をすれば「執着」以外の何物でもないんですよね。

「〜しなければ」という義務感で生きるのを止める

自分の人生を一度振り返ってみると、僕の人生は「〜しなければ」という執着だらけだったなーと今では感じます。常に誰かに急かされるようなイメージで、周りの目がとても気になる。ちょっとしたことで不安になり、結局

亜鈴

〜しなければいけない

といった感じのことで、頭の中がいっぱいでした。そしてそれらを消化することで、1日が終わる。そしてまた、「〜しなければ」の明日が始まる。うつ病を患っている方々の、辛かった思い出の中も、きっと似たようなイメージなのではないでしょうか?

仕事でやらなきゃいけないことがたくさんあって、毎日余裕がない日々。その結果、頭の中が「〜しなければ」で埋まってしまい、パンクしてしまった・・。このようなパターンが一番多いのではないかと思います。

真面目なのはいいことだけど・・

1つ勘違いしてはいけないのが、「〜しなければ」という思考を持つことができる私たちは、決して劣った人間なんかではないということです。むしろこのような真面目な性格を持っていることに、感謝すべきとさえ言えます。

だって、世の中にはこれと正反対な人だってたくさんいるから。私たちが「〜しなければ」と思っている横で、テキトーに仕事をしている人だっている訳で、世の中の人が全員「テキトー思考」だったら、日本という国は持ちません。だからこそ、私たちのような真面目な人間が、自分のことを責めることは本来ならする必要はないんですね。

でも一方で、私たちのような真面目な人間は、基本的に「〜しなければ」という思考をベースにして動くため、何事に対しても

  • 完璧さ
  • 清廉潔白さ

こういったことを一番に求めがちです。よって、1つ1つの物事を遂行するスピード感や、フットワークの軽さについては苦手な部分。一方、「テキトー思考」の人は、完璧さや清廉潔白さとは全く異なる、

とりあえずこれでいいや

という思考がベースにあるため、1つの物事をやり終えるスピードは私たちの比ではなく、ある意味では仕事が早いとも言えます。よって、真面目・テキトーは、どちらが優れている・どちらが劣っているという二元論に落ち着く話ではなく、むしろ「世の中にとって両方必要」だということが真理だと思ってます。

ゆえに、私たちは何かにつけて執着したがる「真面目な性格」を、「テキトーな性格」に矯正などする必要はありません。執着したっていいし、仕事が遅くたっていい。それで構わないのです。うつ病になると、

真面目な性格は良くない

って感じのプレッシャーをどこからも受けますが、こんなもの真に受けなくていいです。真面目でいい、いや、むしろ「真面目だからこそいい」んですからね。だから、何かに執着してしまう性格はそのままでオッケー!等身大のあなたで生きていきましょうよ。

じゃあ一体何を「ちょっとだけ変えればいいのか」というと、「執着から生まれる苦しみ」を減らせばいいんです。真面目な性格はいいことだけど・・、ちょっとだけ苦しみに着目してみる。

今までの僕や皆さんは、真面目だからこそ生まれる苦しみで、自分をいじめすぎちゃったんですよ。だから、一度自分が自分にどれほどの苦痛を与えるかを、まずは理解してみる。このことから始めてみましょう!

そして、何が自分を苦しめているかを理解すると、自ずと1つの答えに帰着します。それは、「〜しなければ」という義務感です。私たちは真面目だからこそ、義務感で生きるきらいがありますが、これは自由に生きていきたい人間本来あるべき姿から逸脱しているので、そりゃ苦しいに決まっています。

なので、真面目な性格はそのままに、「義務感で生きる」ことを少しずつ減らしてみてはいかがでしょうか?

自分の心の声に目を向けてみよう

では、義務感で生きることを減らすにはどうすればいいかですが、これはある意味では超簡単で、ある意味では超難しいことになっています。

その気になる内容は、

自分の心の声に目を向けてみる

ということ。一見すると簡単なように思えますが、私たちのような真面目人間には、ちょっと難しいことなんですよね、これって。

例えばですが、うつ病になると「生活習慣を整えることが大事」だと一般的には言われていることから、ほとんどの方は

亜鈴

夜は早く寝て、朝は早く起きないと

という「義務感」に基づいて生きていると思います。でも、もし本心の自分が

亜鈴

別にまだ寝たくないし、早起きもしたくないんだけどなぁ

と思っていたとしたら、どうでしょうか?この時点で従うべきは、普通は前者の「義務感」だと思いますし、実際筆者もそうでした。

でも、我々人間はロボットではないのですから、マニュアルに従って生きる必要なんて全くないこともまた事実。でも私たちは、そんなマニュアルに従って今まで生きてきた訳ですが、その結果が今のうつ病な訳です。

であるならば、こんな時くらいは「自分の心の声」に従ってみてもいいんじゃないですか?例えば、

亜鈴

ダラダラした自堕落な生活がしてたい

と思ったら、そうしてみるのも「個人的には」全然アリだと思います。ほとんどの医者はダメっていうと思いますけど、心の声に従って初めて「等身大の自分」が見えてくるわけですから、患者目線で言うならば心の声にジャンジャン従うべきです。

もちろん、常識的に考えてNGなことはダメですよ?自傷行為とか、度を超えた暴飲暴食とか、これらは心の声のレベルの話ではないですからね。

「良い・悪い」基準はもう捨てちゃっていい

以上のように、心の声に従うことで、苦しみの生じない「等身大の自分」というものが見えてきますから、この際「良い・悪い」という基準を捨ててしまって良いと思います。

僕ら真面目な人間は、どうしても「良い・悪い」の二元論に物事を着地させたがる思考を持っているのですが、ハッキリ言ってこれは苦しみしか生まないからです。

さっきの例で言うならば、

  • 規則正しい生活:良い
  • ダラダラした生活:悪い

こんな感じですが、この良い・悪いがあるからこそ、早く起きれなかった時に自分を責めてしまいますし、逆に規則正しい生活ができた時は思わず「ハイ」になって喜びまくっちゃうわけです。

確かに、喜ぶのは悪いことではないですが、人間はロボットではないので、必ず失敗する時がきます。その時に、

あの時はちゃんとできたのに・・

という後悔が100%生まれますから、そういう意味でいえば良い・悪いは持つ意味はあんまりないと思います。それよりも、良い・悪いに執着せずに全てを受け入れられる、人間的な器の大きさというか、そういった方向性を目指すのが理想かなと。

まとめ

この記事では、うつ病からの脱却と諦めについて語ってきましたが、いかがでしたでしょうか?

最終的に言いたいことがまとまらなかった部分がありますが、「諦め」から始まることはたくさんあるので、諦めは決して悪いことではないということを覚えておいていただければ嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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