【色が戻った!】P.Aファンの「色づく世界の明日から」6話までの感想

【色が戻った!】P.Aファンの「色づく世界の明日から」6話までの感想

2018年秋アニメは「とある魔術の禁書目録3期」が放映したり、あるいは「きらら」から「アニメエール」がアニメ化されたりと、相変わらずアニメファンにとっては賑やかなラインナップとなっていますが・・。

その中でも注目なのが、P.A.WORKS制作の「色づく世界の明日から」ですよね!なんて言ったって、

  • 花咲くいろは
  • SHIROBAKO
  • サクラクエスト

これら「働く女の子シリーズ」を世に放った最強制作ですから、まあこりゃ期待大なわけです。しかも、なんかタイトルも意味深というか、気になるしね。

そこでこの記事では、P.Aファンが贈る、「色づく世界の明日から」6話までの感想を、思うがままに書き連ねていこうと思います!

注意
この記事では、6話までの感想を述べているので、まだ見ていない方々にとってはネタバレ要素がある可能性があります。あらかじめご了承ください。

アニメ全体に関する感想・評価

色づく世界の明日から公式サイトキャプチャ

引用:TOP – 「色づく世界の明日から」公式サイト(©色づく世界の明日から製作委員会)

さて、まずはアニメ全体の感想をお伝えしていければと思います。

かなり個人的な意見というか、感想が混じっているので、優しい目で読んでくれれば嬉しいです!

原作・小説なしの完全オリジナル!気合い入ってんねぇ

本アニメ「色づく」は調べてみると、どうやら原作・小説なしの完全オリジナルアニメーションみたいです。原作は「ヤシオ・ナツカ」って人みたいですけど、皆さんググってみてもノーヒットみたいで。

気になるのが「何クールやるのか」ってことですが、個人的には2クールやって欲しいですね。「P.A」は2クール作品多いですし、23,24話くらいあることを祈ってる!非常に良いアニメなので、1クールではもったいないのだ!

オタ星

「色づく」はハッキリした良いところがあるっていうよりは、作品全体の雰囲気がなんかいいですよね。この微妙なラインを演出してしまうあたり、「P.A」ってすごいなって思うぜ。

舞台はOPからもわかる長崎!意味はあるのか

このアニメの舞台は「長崎」ということで、OPで路面電車が走っていることからもわかります。筆者も一度、というか免許合宿で関東から長崎の佐世保まで行った猛者なので、一ヶ月近く長崎に滞在していたことがありまして。まあ実際、佐世保から長崎は電車で結構走らないといけないのですが、それでも2回行きました。

それでね、教科書でよく見たじゃないですか「出島」って。あの鎖国の時でしたっけ?オランダとだけ外交があって、そこに使われてた的な(うろ覚えすみません)所です。それが今もあると思って、タクシーの運転手に

オタ星

すみません、出島までお願いします

ってお願いしたんですが、今じゃもう埋め立てられてとっくの昔に消滅してました(笑)一応地名だけは残っていたので、そこに連れてってもらいましたがね、いい思い出です。

と、無駄話はこの辺にして、実際に存在する地名をアニメの舞台に置いちゃうというのは、P.A WORKS(以後P.A)の得意分野ですよね。花咲くいろは然り、サクラクエスト然り。こういった実際にある地名を使うことで、

  • リアリティが生まれる
  • 地方ごとの空気感が出る

このようなメリットがあると思います。特にP.Aが重要視しているのが、「地方ごとの空気感」。今回は長崎ということで、日本海に面してる。実際舞台も日本海に面した港町で、それを見事な画力でこれでもか!というくらい素晴らしく書き上げてるのが最高です。すごく綺麗ですよね。

絶景とモノクロ

でも、皮肉なことに、主人公の「瞳美」はあの絶景をモノクロでしか見ることができない。一話にあったあの花火大会もモノクロでしか見ることができないわけですよ。この対比、要するに

  • ため息が出るほどの絶景
  • 主人公が色を知覚できない

このような、ある意味最大級の苦痛とも言える試練を主人公に課すためにも、「長崎」を選んだのではないかと思っています。やっぱり絶景って山より海だと思いますし、海に浮かぶ花火ってめっちゃ綺麗ですもんね。

ただ、例えば都内で行われる隅田川花火大会のような、毎年大々的に行われるビッグイベント的な花火大会だと、なんかこう現実感がないというか。

「地元の伝統行事」で地元民なら誰でも参加する

っていう花火大会を本来の形で見れないっていうのが、とても切ないみたいなね。もっと具体的に言うと、

  1. 地元のイベントの感動がわからない
  2. 地元民としてのアイデンティティに傷がつく
  3. 疎外感を感じて感情が乏しくなる

こんな感じかなと。あくまで妄想ですが、こんなふうに考えちゃいます。

実際、1話もあったじゃないですか、そういう場面。同級生と思しき生徒たちが、瞳美に向かって花火大会に誘うけど、なんか気まずくなったってシーン。あれなんかも如実に表してますよね。

ああやって友達同士「地元の花火大会」を見に行くのが羨ましい。でも、自分は色がわからないから一緒に行く自信がない。この自信のなさから目をそらすために、

自分は対人関係が苦手

っていうものを作り出して、控えめな女の子という枠に自分を押し込めてる。そして、色が知覚できない原因の魔法を極端に嫌ってる・・みたいな。これ自体は、ちょっと厳しい目で見ればすり替えでしかないんですけどね。確かに、魔法によって色が失われたかもしれないけど、そこからどういう自分になるかはその人次第であり、決して魔法が全て悪いわけではないですし。

したがって、この辺の精神的な未熟さが、ある意味で普通の女子高校生っぽさを演出してるとも受け取れます。魔法使いだけど、コミュ障の女の子ですよ的な。

全部妄想ですけど、舞台が地方で海に面した港町「長崎」だからこそ、成立する妄想ではないでしょうか?

ストーリーに関する感想

漁港

続いて、ストーリーに関する感想を述べていきたいと思います。

まずは本作のメインテーマから。

テーマはズバリ「心」!色と心の対比が見事!

舞台設定に続いて、6話まででわかってきたこのアニメのテーマを論じたいと思います。色々考えたんですけどね、やっぱり「心」だと思いました、一番のテーマは。

このアニメには、主人公に関する1つの前提条件が存在しています。それは、

色を失った瞳美は感情が乏しくなった

ということです。ではそもそもなぜ、色を失ったことで感情が乏しくなったのでしょうか?これを考えるために、自分の眼に映る世界全てがモノクロになったことを想像してみたんですけど・・、これ想像以上に辛いですよ。

まず朝起きてカーテン開けて、晴れ渡る外の景色を見ます。でもモノクロだから感動もクソもない。朝のテレビで凶悪犯の顔が映し出されています。モノクロだからより凶悪に見えてくる。Twitterでも開いてタイムラインを適当に眺めてます。「いいね」がついた画像付きのツイートを見ますが、なんで「いいね」されてるのかがわからない。結果、TLで盛り上がる学校の友達の話題にもついていけない。学校に行って同級生に「おはよう」と挨拶する。みんなモノクロで、朝のテレビの凶悪犯との違いがわからない。授業をしていたって、わかりやすいと評判の先生の「丁寧に色分けされた板書」も、モノクロだからわかりやすくない。お昼に学食でご飯を食べても、口に入るもの全部モノクロ。夕日が綺麗な港町の帰り道も、全部モノクロ。家に帰っても全部モノクロ。そしてまた明日が始まる。さらに、一年に一回ある地元の花火大会。同級生は浴衣でオシャレして、みんなこぞって参加する。でも自分はモノクロ。だから感動を共有できない、だから会話ができない。どうして、どうして自分だけが。全部魔法のせいだ。「魔法なんて大っ嫌い」

全部妄想ですが、これくらいあれば感情の1つや2つ失いますよね。辛すぎるでしょ。この設定考えた人やばいな・・(笑)

そして、こんだけ長く書き連ねた物を見ればわかると思いますが、色と心って明確にリンクしてるんですよね。実際、色には暖色と寒色、要するに

見ているだけで感情が変わってくる

色とかもありますが、モノクロだとそれもない。「暖」もないし、「寒」もない。だから、「ネガティブな子」じゃなくて、「感情が乏しい子」になったってわけ。ネガティブってのは、言い換えればポジティブの逆ですが、そもそもネガティブとかポジティブという基準で測れない、「感情がない」ってことですよね。

このように、「色にまつわる設定」があるおかげで、単純に「感情が乏しい子」を主人公として出されるより、

一面モノクロなせいで感情の起伏が乏しい子

って出された方がスムーズに我々の心に入ってきますし、共感もできますよね。なので、この設定はエグいですが、見事私たちの共感を得るという目的を達成していると思います。

「心の難しさ」を伝えたいのでは?

さて、以上のように「色を失った」という設定を主人公に付与することで、色と心の対比を見事に成立させ、その結果主人公の心境に共感を覚えさせることに成功しているのが本アニメ。

では、このような流れで主人公に共感させることで、制作側は一体何を視聴者に届けたいのでしょうか?

筆者が考えたのは、「心の難しさ」みたいなものです。有名どころで言えば、夏目漱石の「こころ」ですね。人間誰しもが持っている、心の曖昧さや脆さ。だからこそ辛くて、だからこそ悲しいものですが、だからこそ人間は素晴らしいんだよ的なメッセージを残したいんじゃないかと思いました。

ただ、漱石の「こころ」ほど深いところじゃなくて、もっと身近なところで描きたかった。それで、「高校生」ってものを選んだんじゃないかと。高校生くらいの年代って、

小学生や中学生とはまるで違うけど、それでも完全な成人ではないよね

っていう絶妙なラインがあるじゃないですか。本人たちは、「人生とはなんたるや」ってことがわかっている、少なくともわかりつつある「と錯覚している」。ですが、実際外から見てみると、

「いやお前らが人生とか語るなや」

と思われるほどまだまだ未熟。実際、すでに成人をしている我々が自分の高校生時代を回想すると、決まって

オタ星

あの頃はまだ若かったなぁ

と懐かしむものだと思います。こんな感じに、あの年代って色々なことをわかりきってると思ってるんだけど、実際何もわかってないじゃないですか。

そして、それは心も同じ。もっと言えば、自分の心と他人の心両方。この「曖昧さ・難しさ」を主軸に添えて、物語を進行させているような感じがします。

具体的に言えば、こういった心の難しい部分って、「恋愛」で如実に現れるんですよね。

相手の心を知りたい、でも一歩踏み出せない。

この言葉ではなんとも言い表せない難しい感じと、思春期特有の様々な葛藤と結びついて、私たちの心をキューっと締め付けちゃうわけよ!そして、本アニメ「色づく」でも、いつメンの中から3組のカップル(候補)が存在していますよね。

  • 瞳美-唯翔
  • 将-あさぎ
  • 千草-胡桃

こちらのペアですね。名前で言われてもピンとこないかもしれないので、公式サイトの方から引用させていただいた、以下の画像も合わせてご参考に。(公式さん、素晴らしいアニメを作っていただいて、本当にありがとうございます)

色づく世界の明日からキャラクター

引用:CHARACTER – 「色づく世界の明日から」公式サイト(©色づく世界の明日から製作委員会)

瞳美-唯翔

こちらのペアは、いわゆる「主人公カップル」なので、物語の中で最も焦点を当てて入り込んでいくと考えられます。

物語の始まりで、瞳美が唯翔の部屋にタイムスリップするという描写からも、二人の今後が容易に想像できますが、最初の数話ではもどかしいほどに二人の関係は進みませんでしたよね(笑)

ただ、4話の屋上でのワンシーン、あの瞳美が皆んなに未来から来たことをカミングアウトした回です。あの時に、「月白さん」と呼ばれることで瞳美と琥珀の二人がややこしくなるから、

名前で呼んでみようぜ

ってとこあったじゃないですか?あのシーンで、先に「将」が物凄く照れながら

「瞳美と・・・琥珀//」

と呼んで、その後に唯翔が

  • 琥珀:琥珀
  • 瞳美:月白さん

このように呼んだんですよね。本人曰く、

「区別がつけばいいんだろ」

とのことですが、これやっちゃいましたよね、マジで。区別がつけばいいってお前な・・、すました顔してるけど実はご乱心した挙句、気になる瞳美の方を「さん付け」したってのが丸わかりですよ。

ですが、瞳美からすれば面白いわけありません。

なんでおばーちゃんは名前なのに、私は「さん付け」、しかも苗字なワケ?

ご丁寧に、その後の瞳美の「ブーッ」っていう不満そうな顔を描写してくれていたことからもわかりますよね。もうこの時点で、お互いの気持ちをはっきり描写しきっちゃったわけです。

しかしながら、お互いが自分の気持ちを理解できているかは別問題。特に瞳美の方は、これまで「モノクロ」が原因で感情が乏しくなっていますし、自身の中にある恋愛感情を「そういう感情」として認めるのに時間がかかると思います。この過程の描写をどれだけ引っ張るかはわかりませんが、グダグダにならないようにはして欲しいかなと。

一方、唯翔の方も割りかしドライなのか、あまり自分の気持ちに拘泥するような描写はなく、性格的にも恋愛に激しく燃えるタイプではなさそうですね。なので、主人公格に据えるにしてはお互いに地味?映えない感がありますが、だからこそのこのアニメなんでしょう。

「心の難しさ」とは、快活な主人公が自分の感情に従ってニコニコスマイルで全部乗り切る!ってアニメとは親和性が低く、逆に「色づく」みたいな妙な現実感がある作品との方がマッチしますからね。

6話では、唯翔が瞳美に対して

自分の絵を”お前に”見て欲しい

という感情を爆発させ、お互いのモヤモヤした部分が一個だけ吹っ飛びました。長年感情が乏しかった瞳美には刺激が強かったようで、これがきっかけで色が戻って何より。

ただね、初期設定である「モノクロ」が、この一瞬の出来事だけで解決するのは少々飛躍が過ぎるので、背景には何らかの理由があるのだと思います。瞳美の魔術・・ではなく、魔法の不完全な部分が、実は唯翔に繋がっていた的なね。この部分はもっとちゃんと考察すれば深いところまで見えてきそうです。瞳美が唯翔の絵の中に入った描写とかをしっかり考えて、考察として1記事丸々扱おうかな。

また、「魔術」と言えば・・、そう「とある魔術の禁書目録」ですよね!「色づく」と同じ2018年秋アニメのラインナップに入っていて、こちらも要注目のアニメとなっています。筆者は「とある」の方も原作読み込んでるほどのファンだったりするので、気になる方はこちらの記事もご覧あれ!

【祝・暗部編終了!】アニメ「とある3期」6話までの原作勢の感想

オタ星

唐突な宣伝すみません許してください
将-あさぎ

続いて「将-あさぎ」です。こちらは主人公さんたちと比べて、かなーりわかりやすい描写がされているので、皆さんももうお気づきだと思います。ただね、男の方の「将」が、まあやっちゃってますよね。

あろうことか、主人公である瞳美を好きになるとか・・、これもう後々大問題に発生するフラグが立ちまくってますよ、誰か止めてあげて。これきっと、瞳美とあさぎがギクシャクする気もしなくもなくて、ヒロイン達のドロドロの心理的やり合いを見せられることになるのでしょうか?

男同士のハッキリしたぶつかり合いなら我々アニオタにもまだ免疫はありますがね、清純可憐なヒロイン同士の心理的ドロドロバトル!なんて、我々の脳には少々オーバー過ぎる設定ですよ。是非とも未遂に終わって欲しいものです。

この二人のポイントは、一方通行だということですね。今のところ完全に「あさぎ」の片思い。一方「将」と言えば、主人公の女の子に無謀なる戦を仕掛けている。やめとけってどれだけこちらが叫んでも、きっと届かないでしょう。

これこそが、「心」の難しさですよね。片方がどれだけ相手のことを想っても、それに対する反応はおろか、そもそも気づきもしない。人間にアンテナやセンサーの類でもついてれば別ですが、おあいにく神様はそんな高性能な機能をつけてくれはしなかったようです。

それでももしね、「あさぎ」が想いを伝えたいなら、今よりもっと成長しなきゃいけません。今は完全に将から「子供」だと思われていて、恋愛対象はおろか、女だとも思われていないでしょう。この状況を覆すには、「あさぎ」自身の強い意志を、成長という形でビシッと見せてやるしかないんです。

私はもう子供じゃないんです。あなたのことが大好きな、立派な女の子なの!

こんな感じかな。昔の名残で今は敬語だけど、きっと男女の関係になると決めた覚悟として、敬語はやめると思います。こんな感じの告白になればいいなーなんて思いつつ、これを上回るものを期待。

千草-胡桃

最後にこの二人ですが、正直あんまり想像できないですね。というのも、まだこの二人に対しては心理的な描写が少なくて、お互いの関係はおろか

「どういう人間なのか」

っていう情報が、明確に不足している状態。そしてこれは、おそらく制作側の意図でもあるでしょう。最初から主要登場人物全てのパーソナルな部分を丸裸にしてしまうと、どうしても間延びしやすいですからね。少しずつ小出しにしていって、それぞれにしっかり「回」を設ける。

これが、いわゆる群像劇系アニメのセオリーとも言えるものなので、これからハッキリわかっていくと思います。

あくまで筆者の主観ですが、「胡桃」については何かしらの闇がありそうだなと。劇中では最も快活で明るいキャラクターですが、一方で「底なしの明るさ」を感じられる程でもない。この微妙なラインに、恐らく大きな闇が隠れているのではないかなと邪推しているわけです。

千草に関しては、声が高くて最初は違和感しかなかったですが、まあ慣れました。そのくらいしか今は思いません。

琥珀を基準点にして物語は進んでく

琥珀の紹介画像

引用:CHARACTER 月白琥珀 – 「色づく世界の明日から」公式サイト(©色づく世界の明日から製作委員会)

とまあ、「色づく」には以上3つのカップル(候補)が存在していて、それぞれにどういった着地点が用意されているのかに注目ですね。

あくまで推測ですが、それぞれのカップルにはそれぞれの「テーマ」が設定されているはずで、それらを全部作品単位で乗り越えることで、この作品のメインテーマが浮き彫りになってくると思います。現段階では不透明ですが、いずれハッキリする部分だと思うので、自分の中で答えが出れば、また記事でもあげようと思います。

そして、忘れてはいけないのが「琥珀」の存在です。琥珀は言わば「フリーマン」であり、いずれのカップルにも属さない本作では異色の設定を付与されている、唯一無二のキャラクターなんですね。

琥珀は明るさというよりも、「強さ」を前面に押し出した強烈なパーソナリティの持ち主であり、どんなことがあっても折れないだろうなっていう安心感を得ることができます。一言で言えば、本作の基準点。

この作品は、思春期のガラスのような「心」をメインに扱っていますから、琥珀のような不変的な強さを持つキャラクターは、ある意味で「オアシス」的な存在になってくれているのです。いつ見ても、同じ目線で見ることができるみたいなね、だからこその「基準点」。そんなイメージ。

「色づく」のような青春群像劇系のアニメには、こういった存在がいないとどんよりとした重たい雰囲気が漂いがちですから、

  • 主人公のおばあちゃん
  • 作品のオアシス

以上2点の役割を与えることに成功したシナリオ・ストーリーは、非常に評価できますね。主人公のおばあちゃんがアニメのオアシスとか他アニメだったら考えたくもないですが、本作だからこそ出来た裏ワザ的なものであり、すごいなーと素直に思います。

まとめ

本当はもっと語りたいこともあるのですが、今回はとりあえずこの辺で感想を終わろうと思います。OPについて触れたかったので、別の記事で丸ごと扱おうかなと思っているので、もしよかったらまた遊びに来てください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!コメントにてご意見などお待ちしておりますので、どうぞお気軽に!

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